昭和のおっさん

発達障害 ASD ADHD の子の話とか趣味雑談とか

発達障害とかについて 24

よく高知能のASDが社会に出てから失敗続きで障碍に気づく、というのがありますね。この「頭が良い、悪い」というのと「ASDの障碍の重さ」というのが一般の人には判りにくいし、それがこの障碍の理解の難しさの一つになっているんじゃないかと思いますが。

日本の学生の「頭の良さ」というのはとにかく「記憶力」が大半でしょう。極端な話、教科書持ち込みならテストが大分楽になるということは教科書が記憶できる人は「頭が良い」と言われることになりますね。この「記憶力」とか数学の計算力とかの能力はASDとは関係ないというか、能力の高い低いは一般人と変わらないですね。

ASDで障碍されるのは大雑把に言って「コミュニケーション能力」です。これはいわゆる定型の人は自然に身についているものなので、自分がその「能力がある」とは思ってないし意識もしないので、そこが障碍されていると言われても「どんな?」となってしまうわけですね。定型が自然に身につける「文化的な常識」とか「人との共感性」とかが身につかない、理解できない、の重さの程度がASDの重さになるみたいな。

私はADHD傾向の人間ですが、ASDの方とは真逆の人生ですね。学生時代は興味のないことには全然集中できず記憶力も大したことないので勉強は全然駄目でした。ついでに運動も出来なかったのでのび太君みたいなもんです。しかし社会人になって仕事するようになると少々のコミュニケーション能力とか責任感とか健康な身体なんてもので程々に働けてしまうし、それで給料もらって生活できれば一応立派な社会人です。学生時代も別に困りはしなかったですが社会人になって適当に働いて生活して生きるのはまったく気楽です。

今の日本人は「頭が良い」というのを過大評価している気がしますね。今の世の中を見ていると「もっと楽に生きりゃいいのに」と思ってしまいます。そうして余裕をもって生きられればASDのような障碍があってもある程度受け入れられる世の中になりませんかね。