昭和のおっさん

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電話とかについて

私は電話が嫌いです。私生活ではほとんど使いません。

あるときから仕事の部署変更で電話を頻繁に使うようになりました。

嫌いではあるのですがまあ一応問題ない程度には出来るわけですが、一年でそれまでの40年分以上電話しても嫌なものは嫌でした。

結局仕事を辞めた遠因にもなったのですが、職場の人に話たりすると「ちゃんとできてたじゃん」みたいな反応です。

一般的な考えとしては「ある程度出来ている」なら「問題なくできる」に変換されがちなようで、あまり人が嫌がらないことを嫌がる気持ちは理解されないものです。(別にこの件に関しては理解してほしいと思っていたわけでもありませんが)

世の中は平均的な感覚を基準に作られているので平均的な感覚を多く持っている多くの人は「嫌なことを我慢する」ことがそれほど多くありません。

だから自分が平気なことや我慢できることに対しては「それくらい我慢したら?」という感情になります。

そして自分がわからないことに対しても「なんでそんなことが我慢できないの?」になったりします。

これは別に批判的な気持ちで言っているわけではなく私にもそういった一面はあるわけですが、世の中には感覚過敏で苦しむ人がいることを知ったときに改めて一般人の世の中に対する単純すぎる理解に気が付かされたということです。

一般人でも「隣人がとてもうるさく迷惑」という事件なら「それは大変だ」「うるさい隣人が悪い」と思います。隣人がうるさく迷惑、という苦労が想像できるからです。

これが「騒々しい人混みに出るとパニックになってしまう」となると同じ苦労のある問題だと理解できなくなってしまいます。

ある種の服が着られない、とか一般人に感じられない匂いや音が気になるなんてなったらもう理解できないというよりおかしい人になってしまいます。

なにも知らなければそうなってしまうのは仕方のないことで、結局は教育というか知ることが肝心でしょう。

色々な人がいて色々な感じ方をすることが知られていき、皆が少しでも生きやすくなるといいなあと思います。

最後に失礼ながら私のようなまるきり平均的な感覚ばかりの人間からすると感覚過敏の方の超人的なエピソードを聞くと天才アスリートの逸話のように感動してしまったりします。