本「数字と踊るエリ」「病み上がりの夜空に」矢幡洋
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犯罪ニュースやアウトデラックスなどでもお見かけする臨床心理士の矢幡洋さんの本です。
一人娘のエリさんが小学校入学時の検査でつまずき、その後、自閉症と診断されるところから中学生までのノンフィクションです。
生まれたときから色々問題はあって苦労されながら育っていったようですが、ごく普通の夫婦なら大概そうでしょうが「うちの子はなにか障害があるのでは」とは中々思わないものです。
私のうちの子や嫁も、あとから考えれば色々気づくところもありますが、当時の状況から「障害」につなげるのは私にはできませんでした。多分、ほとんどの人にはできないだろうと思います。それは親の子供に対する「期待」や「思い」が目くらましになることもあるし、なんといってもこの手の障害への知識がないこと、見分けるのが難しいことですね。
本の中に、エリさんが延々と的はずれな質問を続け、お父さんが「なんで君の話を聞くのがこんなに苦痛なんだ」と嘆くシリアスな場面があります。
ここを読んだとき不謹慎ではありますが私は笑ってしまいました。私の子供とのやり取りを思い出して、あまりに「あるある」な話なので笑ってしまったのでした。正直、文を読む限りでは私のうちの子のがASD度は低いようですし、私は深刻に子供について悩んだことはないのですが。
八幡家は夫婦共に臨床心理士の努力家だそうで、娘さんのために必死に学び、療育をしていき、徐々に家庭が崩壊していき、両親が疲弊していく様が語られています。
私の場合は子供がドロップアウトして障害がわかったあたりで「普通」を目指すことはやめたのでそれなりに楽しくやってますが、それは私自身が多少「普通」でなくて「普通」にそれほどの価値をおいてないこともあるし、なんといってもうちの子は「普通」ではないだけで、のんびり生きられる程度に障害が軽いからでしょう。
エリさんは療育の成果か、本人の成長か、徐々に自我が芽生え社会性が育っていくところが見えていき、終わります。その後も気になりますね。
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「数字と踊るエリ」の続編のような感じかと思いきやちょっと違いますね。
まずご両親の過去の話から始まり、その後も「障碍児を抱える両親」の苦悩の話が続きます。
エリさんのお母さんは、自分が悩んだときは「誰かとコミュニケーションをとる」ことが癒やしになるような、コミュニケーション強者、というか普通の人なんですね。
それに対して娘さんは「コミュニケーション障碍」。
両極端な二人は相容れず、お母さんは「内容のあるコミュニケーション」をとれない娘さんに苛立ち絶望してしまいます。
お父さんは目の前の現実に対応し奮闘しますが、障碍児をもつ親ならかならずぶつかる、「両親が死んだあとこの子はどうなる」という問題に悩みます。
もう一つ、「この子がこのまま社会性を身に着けずに大人になりどんな人生を歩むのか」を想像してその孤独で苦しい姿に震える場面があります。
ここでは「親が想像した恐ろしい未来」でしかないのですが、今インターネットで当事者たちが語る不安や苦悩の人生はまさにこの想像の中の世界です。
発達障害の問題でよく使われる「困り感」という言葉がありますが、知識のない定形がこの言葉から上記のような凄惨な人生を想像することはできないでしょう。
この本の内容も何かが解決して終わるわけではないし、現実の障碍者問題も同じです。
ただ、誰でもが陥りかねない問題ですし、こういうことがある、ということを多くの人が知っていたほうがいいと思い、私もちまちまこんなブログを作ってみたりとか。